数年の苦勞ここに実る私達の手で作つた託児所生いたちの記病院の掃除婦さんの要求から託児所設置の動機などについては今更改めて述べるまでもないことかも知れないが、託児所が完成した現在、ややもすると「託児所は出来てしまつたのだから、もう大丈夫だ」と安心しきつているようなところはないだろうか。数年前、病院の掃除婦さん達が、「私達は毎日子供を連れて出勤しておりますが、職場では子供のいる場所がないため、掃除をする母親について歩いたり、ごみや細北大教耺員組合婦人部「北大職組婦人部ニユース」九号(五十周年記念事業実行委員会「北大「子どもの園」五十周年記念誌」二〇一〇年 収)一九五九年二月菌の一杯いる廊下で何か食べながら遊んでいるので病気にならないかと心配です。こんな時、託児所があつたら…」と常に話し合つていたことが病院班の婦人部を通して切実な要望として会合のあるたびに訴えられていた。もうその頃の子供は託児所を必要としない程大きくなつている。初めは、その小母さん達のためと思つていたことだつたのだが、全学的にするべきである。という意見が非常に強くなり、二十九年後期の執行委員であつた添田さんが率先して働きかけをはじめ、当局にぶつかつてみたが、けんもほろろの挨拶をされた。託児所を設けることは大学の教育方針外であつて、法的に叶なわないとの一点ばりで交渉のたび渋い顔をされ、誠意の片鱗すら見出すことは出来なかつた。しかし託児所は単に個人の問題だけではない。共稼ぎ 所の職員ばかりでなく、全職員の職場と生活を守るためにどうしても頑張ろうという意識が昂まつて来た。全学的な要望に5 私たちの手で作った託児所1160第2部 教育 第12章 就学前教育・保育、子育て、児童福祉
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