訴えるような顔つきで私の顔を見ていましたが、 「母ちやん。電気のあるところに引つ越したいな」とぷつつりいうのです。あまりに予想もしなかつた、突然の言葉だつたので私は咄嗟に何と答えたらよいのか心の中ですつかりまごついてしまい、ただ 「えつ?」といつたきりであとは訝しげに健一の顔を見るだけでした。すると健一はやにわに私の膝にすがりつき、 「ねつ、母ちやん電気のあるところへ引つ越そうよ。電気があればラジオが聴けるんだ!そうすれば俺だつて、俺だつてトンガリ帽子の歌〔(NHKラジオドラマ「鐘の鳴る丘」(一九四七~五〇)の主題歌〕をうたえるんだ」健一は私の膝を激しくゆさぶりながら、堰をきつたようにこういうのです。その眼には泪さえ浮べていました。私は、はつと思いました。丁度あの〝鐘の鳴る丘〟がラジオで連続放送されて子供たちの人気をさらつている頃でした。学校での休み時間などのとき、幼い子供たちが教室のそここに集つていつも話題の中心になるのはおそ編者注)らく〝鐘の鳴る丘〟の主人公だつたのでしよう。その夜、健一が寝静まつてから夫に昼のできごとを話し、何とかラジオが欲しいものだと考えましたが、しかし夫にとつてもやはりどうすることもできない大きな問題でした。所詮、電気の文化の恩恵に浴することのできない、そして健一にも〝トンガリ帽子〟の歌を聞かすことのできないこんな生活が、私たちに与えられたものとしてあきらめてしまうのでした。こうしておりますうちに二六年の三月、学校で子供の 近所となり誘い合つて出席しました。父兄会があり、滅多に外出したことのない私たち主婦も授業が終つて、先生と父兄の懇談会がありましたが、その時私たちの部落の一人の母親が先生にこう尋ねました。 「私の子供は社会科を嫌うのですが、先生どういうものでしよか」〈中略〉〈中略〉婦人の結集103第1節 戦後復興期の農山漁村社会
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