何といつても経済的に非常に恵れないこのような村に、104初めて電気を引くということはどうしても私たちクラブの婦人だけの力ではどうにもなりません。いろいろ相談した結果部落の主人たちの集りに私たちのクラブの代表者三名が出かけていつて 「是非私たちの村にラジオが欲しいものです。電気をつけることは大変ですから、せめて前に普及員さんが話しておられたラジオの共同聴取施設でもどうにかならないものでしようか」 「部落の入口の田中さんには電気が来ているので、せめてあそこから引つぱれば簡単だと思いますが」などとうら覚えの知識ながらも懸命に話しましたところ 「いや本当だ、俺たちも考えていた所だ」 「ラジオがあればニユースはきける、選挙の時の政見発表もきけるぞ」ともうラジオがついたように喜んで賛成してくれたのです。 「こうして沢山の子供さんをお預りしておりますが、社会科の時間には特にラジオのある家の子供と無い家の子供とでは、はつきり理解の程度が違つているように思われます。これは決して頭のよし、あしをあらわすものではないのですが、唯ラジオのある家の子供さんは常識がやはり広く、無い家の子供さんはどうも発達が遅れるようです」その帰り途、私たちは珍しく興奮してラジオが欲しい、ラジオが欲しいと話し合いました。その日がきつかけとなり、どうにかしてラジオが欲しいという私たち主婦の心が一致して、それから三ヵ月後には現在の私どもの駒ヵ岳生活改善部落ができ上つたのです。それはあたかも灰色の冬眠から春に目覚めたように、発剌とした生気にみなぎつたものでした。実行への路〈中略〉〈中略〉〈中略〉第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活【農山漁村の生活】
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