北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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そして最もこの問題の難関でした資金は、一時部落で融通を受けて秋になつて雑穀で返済することに話合い、前後五回の会合でようやく本決りとなり資金、請負工事関係、資材などについて協議しました。こうして私たちのこの希望の前途にもようやく実現への曙光が輝きはじめました。経費をできるだけ節約しなければなりませんので、部落の男の人たちは電柱を切り出したり、運んだり総出で一生懸命やつて下さいました。しかし当然のこと(はいえ、予想しなかつた不平が出はじめました。 「工事に出れば金にならないから出面に出た方がよいわ」と工事を休んで出面に行つた人があり、それを知つた人たちがさわぎ出したのです。しかしこの問題も部落の人々の心の一致によつて無事に解決し、十一月にようやく完了いたしました。かくて明るい生活はわれらに〈中略〉と脱カ)拡声機から流れる最初の声を聞いたときは何んと申しましよう、嬉しくて嬉しくて泣きたい程でした。健一も大喜びです。あの頃は〝鐘の鳴る丘〟が人気者でしたが今では〝三つの歌〟〔(NHKラジオの聴取者参加番組〕がとても待遠しくなつております。今までは電気がなく早く寝たものでしたが、この頃では寝るのが惜しくて、アナウンサーが「おやすみなさい」というまで起きています。たつたラジオ一つですが、このことが私たちの部落に与えた力は実に大きく、私たち主婦は今までの殻に閉じこもつた生活から脱皮し、時代感覚というものに目覚めつつあります。婦人問題、生活改善などについても見聞が広まり、これらはみな私たち主婦にとつて今までうかがい知ることもできなかつた新しい世界として、常に新鮮な息吹を与えてくれます。そして何よりも嬉しいことは、殆ど忘れ去られていた楽しい娯楽が私たちに与えられたことです。編者注)(北海道立図書館所蔵)105第1節 戦後復興期の農山漁村社会    

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