者がインタビューをして作成した資料も含まれています。資料を収集する上でもう一つ心掛けたことがあります。それは、「社会・文化」という領域の性格から、人々の生活の側からの視点を大切にするということです。例えば、北海道でテレビ放送が始まるのは昭和三一(一九五六)年ですが、これは決して全道でこの時期にテレビ視聴が可能になったことを意味するわけではありません。広大な北海道の場合、地形的な問題もあって、地上波が受信できない、あるいは受信できても映像が悪い地域はたくさんあり、こうした状況が解消されるまでにはかなり長い時間を要しました。その間、人々は、テレビを見るために、協力して共同アンテナを立てるなど、様々な努力を試みています。「社会・文化」では、こうした人々の営みや、実現できた時の喜びを記録として残したいと考えました。そこから自ずと北海道らしさが浮かび上がるはずです。今日の情報技術の進歩を考えれば、この時期だからこそ生じた問題とも言えましょう。また同時に、できるだけ北海道全域の事例を取り上げるように心掛けました。とはいえ、満遍なくとはなっておらず、その辺りも心残りであります。コロナ禍で公的な図書館さえ自由に利用できない時期も長く、限られた時間の中で資料収集を進めることは大きな困難が伴う作業でした。そうした制約がある中で、以上のような視点から資料の収集が進められたことをご理解いただければと思います。令和六年(二〇二四年)三月社会・文化小部会長 小内 純子 あとがき1202
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