ママ生活と取組んでいない婦人会活動鹿追町の根本さんは、「よく婦人の地位は向上したと聞きますが、それは会がいろいろな事業を行つていることをさして、〝活発だ〟と見ているのだと思います。しかし、家の人間関係、特に嫁、姑のあいだがらは少しも良くなつていないと思います。第一、婦人会は、姑さんたちの、うつぷんばらしの場になつています。こんなことで婦人の地位が向上したと考えられては大変なことです」。とまだまだ農村の嫁は人間らしい生活にひたつていないと云つています。指導機関にも大きな欠陥がある北見市の富沢やさ(三十四才)さんは、地元の青年団の機関紙で、次のように体験を発表しています。 「私が農家え生れておりながら、いざ農家え嫁いでみておどろいたことは、私が婦人会に出席すると、私の発言から、向()動に、いちいちかげ口をいうことです。この地帯では、嫁は、子供が一人前になるか、姑の立場にでもならなければ、婦人会に参加しないようにしていることです。私には姑さんは持つていないですから、そのあつれきはありませんが、これでは農村の嫁さんたちの願いは、どこでかなえられるのでしよう」と、ここでも婦人の集まりは〝姑さんのゆくところ〟という常識論に対して、強い不満をぶちまけています。さらに富沢さんは〝やがで()は姑さんも理解してくれるだろう〟というあまい考えでは、いつまでもうかばれないとして、村の婦人連合会や、教育委員会の指導にもけつかんがある。と次のように意見をのべています。 「この頃は、村づくり、の一つとして、婦人の旅行だとか、講習会が、きまつて温泉とか、あるいは三日、がかりといつたことで開かれるようになりましたが、時間の無い人、お金の無い人には、およそ遠いことです。「村づくり」とは、そういう人だけが集まつて話し合うものなのでしようか、もつと、よゆうの無い、参加できない人たちのために、あたたかい手をのべる指導がなされてよいのではないでしようか。」と育ちつつある嫁と青年の集いママ111第2節 高度経済成長期の農山漁村社会
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