北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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所は何だ何をして居る、などと親様にどなられたりしてその批判が多くなつた。どんなに悪く言れても批判されても、私達は夜出来るだけ花嫁候補に家族を訪れ、幾度となく話合つても中高年層の花嫁は解決出来ない。時には斜里町の明地さんの話を聞き、留守勝ちな明地さんの所在を訪ね色々相談したり指導を願つた事もある。釧路管内網走管内を始め、かなり広い範囲に亘り調査  萌ゆる若草を飼る牛群達、こうばくたる畑を走る農業機したが、仲々候補者は無い。それでも種々の手順で候補者の町内輸入はしたが、当分町内の解決策に至らなかつた。相談所の会合を開催し、方策について協議を重ねた結論としては、道外候補者の輸入以外に方法なしとし、先ず本町農業の現況を周知すること、農業環境施設作業の実態の写真集、洋々たる太平洋から収穫される海の幸、械作業、遠くから眺める日高の連峰、間近く見ゆる青、赤、色とりどりの牛舎の屋根、その影に高くそびえるとう形サイロ、牛舎の中で可愛い子牛が分娩する。ミルカーで新鮮な栄養豊かな牛乳を処理する乙女の楽しく働く様子、その牛乳が東洋一の工場で処理される姿、加えて町の中心街観光地の山川沼等の状況をアルバムに納めて、東京等で農村を希望する彼女達の一日談話会を計画して上京した。熱い夏の日であつたが彼女達は集つて呉れた。部屋の中で廻る扇風機の風も暖く、冷えた麦茶とアイスキヤンデーで出る汗をふき乍ら、終日話は北海道で咲いた。彼女達の希望も多かつた。夕方、会場であつた尾崎記念館で再会を約し彼女達と別れ、ゆだる様な夏の旅館に引上げたが、初秋を迎える九月、彼女達は次から次と訪町の連絡があり、数多くの訪問者があつた。私達はその都度町内を車に同乗して貰つて酪農家や後継者の家庭を案内したり、二人(若い者)きりで近くの観光地に案内、デートに行つたりしたものだ。その効あり、二人の意が投合した幾組かが出来た。彼女達は一度離町したが、その後相談員が花婿候補と同行して上京し、花嫁候補の彼女達の親兄弟と会つて話を進め、十一月から翌年の二月頃までに数組の新しいカツプルが誕生した。122第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活【農山漁村の生活】

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