北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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自治体による過疎地域振興計画策定の動き近年は相談所としても彼女達のグループ、花婿候補の教育、それに親の理解などの方策を推進し乍らこの農業後継者花嫁問題に対処しているのが現状です。こんな事情などもあつて実際は仲々苦労が多く、結ばれるカツプルは少い有様です。1 基本的な方針京極町の概況本町は道央の西部、後志支庁管内の北東に位置し羊蹄山麓の東裾にあつて周囲が概ね山岳で抱擁されている丘陵起伏の高原地帯である。その総面積は二三二・三九平方キロメートル、人口は六、〇一一人(昭和四〈中略〉(北海道立図書館所蔵)『京極町過疎地域振興計画書 昭和45年度』一九七〇年〇年国調〔(国勢調査〕)である。ア     イ、産業の推移と動向〈中略〉人口と産業の推移と動向人口の推移と動向昭和三五年に七、〇七五人あつた人口は、昭和四〇年には六、〇一一人、昭和四四年には五、五五二人に減少した。しかし、最近の人口減少率は昭和三五年~昭和四〇年と同様依然として減少しているが、これがピークと思われる。町の将来人口は昭和四九年にはおおむね五、〇〇〇人程度に維持できると考えられる。しかし、生産年齢人口の推移が示すように将来を担なう若年労働力が激減しているが、老齢者は僅かであるが、漸増していることが問題点である。また、第二次産業として五〇有余年の歴史を有した脇方日鉄鉱山は昭和四四年閉山となり、本町の過疎化に一層の拍車を加えた。編者注)15 第2節 高度経済成長期の農山漁村社会(1) 123(2) 

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