一九八〇年代の生活と炭鉱事故・閉山んどんって返ってくる、ほんとベニヤ一枚だねっていう。158傾斜がかたっぽだけの屋根だったの。だから雪が降ったら玄関の前に雪がドーンっと落ちるという、こっちにとっては迷惑な建て方だったんだけどもねぇ。玄関は六つ、それぞれ別にね。部屋はね、玄関を入って八畳間、そして流しがちょっと二畳ぐらいついてるかな。それが下の部屋。あとは階段上がって、六畳と三畳の部屋だけ。だから他の家もそうだったんだけども、下に押入れがあったところを、バァーっと部屋に、物置だったところを通して三畳作ったりだとかして。なんも広くないよぉ、それで四人とか五人とか住んでる人もいたんだからねぇ。お風呂は共同。地区でね、何箇所かこうあって、そこに三時から九時頃までかなぁ。で、私は自分のうち〔(夕張市内にある実家〕に風呂があったから、共同の浴場に行くのはほんっとに苦手でねぇ(笑い)。でも、それも慣れなんだよね。なんか私は子供に助け〔伊藤恵美語り〕〈一九八一~九〇年頃〉青葉町での長屋生活家は社宅で、六軒長屋だったの。最初の一年間〔(一九 ビの音は聞こえてくる。だからどんどんってやれば、ど八一年に結婚してからの一年〕はそこから仕事〔(保育士〕に通った。長屋に住んだのはそれが初めてだったの。戸開ければ隣の声も筒抜け。喧嘩してるのも筒抜けだし、笑ってるのも筒抜けだし、テレビを大きくかけてもテレ変わらぬ炭鉱の生活と炭鉱事故・閉山夕張を学ぶ会『夕張学』創刊号二〇〇五年七月編者注)編者注)〈中略〉〈中略〉編者注)第三節 閉山の進行と炭鉱生活32 第1部 社会・文化 第2章 農山漁村・炭鉱の生活【炭鉱の生活】(1)
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