てもらったっていうか。窮屈に感じてたのが、窮屈じゃなく感じれるようになったのは、やっぱり子供ができてからかな。すごく心地良くというか。慣れるのかなあ。子供が生まれてから、人の見方が変わったっていうか、最初はお節介とかね、もういい、口出さないでとかね、初めはそう思うじゃない。でも、それが、子供が生まれてから、やっぱり子育てってすごくエネルギーの要ることだから、そこでこう手を貸してもらった、助けてもらえたっていうのは、すごく子育てを楽しくさせてもらったから。だから、お風呂に行く時も、一緒に行ってくれたおばちゃんたちもいたし、預かってあの子供を洗ってて、こう石鹸で洗ってくれた人もいたし、だからそういう優しさっていうかな。生活のサイクルみんな家族持ってたね。だけど、ほらお互いに一番二番三番方っていう働き方があるから、隣は今日三番方だから静かにしましょうとか、今寝てるんだとか、そした〈中略〉ら外で遊ぼうとか、そういうのはあったねぇ。だから今日何番?とか言って、そうなんだぁとかって、そういう話ができたりとか。一日の生活サイクルは、朝六時位に出掛けていく時と、二時位に出ていく時と、夜十時くらいに出て行くときがあるから、それが一週間、いや二週間だったかな、それが一週間か二週間づつの交代だったと思うんだよね。だからその仕事に行くサイクルによって、生活のリズムが変わるんだけども。まぁ子供が生まれたからね、朝起きる時間も変わらないし、あの食事をする時間だとかは変わらないんだけども、何ていうんだろう、そのお父さんの仕事で家が回る、みたいな。その時〔(一九八五年、三菱南大夕張鉱でガス爆発によ り六十二名の死者が出た時〕うちは二番で、入ってたんだけど。うーん、その時は、三時ころだったから、ちょ〈中略〉〈中略〉事故のこと編者注)159第3節 閉山の進行と炭鉱生活
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