名を『新撰北海道史』と改めた全七巻が完結しました。同書は「国民の北方発展史に一時代を画したもの」とされています(高倉教授)。戦後になると、昭和四三(一九六八)年の「北海道百年」に向けて『新北海道史』編さんの機運が高まり、一九年の歳月を要して『新北海道史』全九巻が刊行されました。ちなみに、昭和三六(一九六一)年に『新北海道史』の編集審議会が発足した際に、高倉氏は「新撰北海道史に関係した唯一人の道民」として審議会委員に選ばれ、編集長に就任しています。同書の刊行により、北海道の歴史における「開拓」や「拓殖」は「開発」若しくは「発展」と呼ばれるようになり、以後の北海道史は「拓殖を中心とした歴史」の叙述からの脱却を目指すようになりました。また、北海道史を概説するものとしては、いずれも道が刊行した『開道七十年』(昭和一三(一九三八)年)や『北海道略史』(昭和三七(一九六二)年)があります。ところで、「今でも北海道らしい自然の中に野獣と未開人の横行する酷寒辺境の特殊地帯であるかの如く考えられ(下略)」とあるこの文章は、『北海道略史』の「序」文の一節です。当時、道外に住んでいた、一部の人々の北海道観の現れかとも思いますが、それにしても、敗戦から一七年も過ぎた北海道の現状に「野獣と未開人の横行」する姿を連想するとは驚き以外の何物でもありません。しかも、北海道が「命名百年」を迎えるのはこの僅か六年後のことです。さて、これまで公刊された道史とは異なり、現在編さん中の道史は、書名に『北海道現代史』とあるように、北海道を中心とした地域の現代史であり、この対象となる時代はいわゆる「戦後史」です。すなわち、昭和二〇(一九四五)年の日本の敗戦直後からスタートして平成の初期に至るまでの時代ですが、これまでに三回刊行された道史編さん事業の中では、このように時代を限定するのは初めてのことになります。この戦後史を主体とする歴史の叙述では、日本の敗戦を始期とする点では関係者の意見は一致したのですが、終期 2はしがき
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