北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
186/1232

点)をまとめたものである。いずれの商品も闇市の価格は公定価格より高いこと、闇市の価格は地域により異なること、公定価格と闇市価格が一〇倍を超えるものもあることなどが見て取れる。なお、闇市は建物疎開跡地や空襲による焼け跡などの空き地を利用して始まり、全国的に広まったものである。北海道では、朝鮮人・中国人、樺太引揚者、的屋が主たる担い手であった。一九四七年九月一〇日には津別町の闇市で朝鮮人と日本人の乱闘事件があり、死者が発生している。闇市はやがて青空市場、自由市場や露店市などと呼ばれるようになるとともに、自治体が移転や強制排除などの対象にするようになる。は戦後初、一般物価の取締は物価統制令公布(一九四六年三月三日)後初のもので、それぞれ二次にわたる結果がまとめられている。闇市の取締は一般物価取締と比べ対象範囲も日数も限られ取締件数が少ないものの、拘留、科料等、説諭中心の一般物価取締よりも重い処分が下されている。闇市の取締に際しては、函館などで朝鮮人の一部が暴力的に対応しており、警察が進駐軍とともにより強い態度で取締に臨んでいることがうかがえる。住民は札幌市の大通り公園など公有地を利用して菜園を作ったりした。本資料にあるように、小樽市では官有地を正式に借り受け、菜園耕作組合を作る取組を行っている。資料3は、GHQ資料に含まれていた道内主要都市の様々な商品の公定価格と闇市の価格(一九四六年一一月時資料4は、「長官事務引継書」に含まれている闇市と一般物価取締に関する警察部の資料である。闇市の一斉取締資料5は、都市住民の自給自足策として取り組まれた自給菜園耕作組合の規約書である。食糧不足に直面した都市闇市都市住民の自給自足策170(4)    (3) 第1部 社会・文化 第3章 都市化と都市の生活

元のページ  ../index.html#186

このブックを見る