ーパーマーケットの隆盛、そしてコンビニの誕生と普及という形で都市住民の消費や買物の姿は大きく変わっていった。敗戦後の復興と経済の高度成長によって住民生活や都市環境が大きく変化してきた。一九七三(昭和四八)年には高度成長が終焉を迎え、安定成長・低成長の時代に入った。この時期の都市生活の変化を象徴する事例として、銭湯、都市公園、脱スパイクタイヤについてとりあげた。し、銭湯の経営は厳しい状況になっていた。この資料は、公営住宅にも自家風呂が設置される現状を考慮し、厳しい経営環境に対して旭川市に支援を求める陳情書である。され、様々なタイプの都市公園が誕生してきた。本資料は、札幌市内に新たに三つ作られた個性的な公園を紹介した一九八三年七月五日付けの新聞記事である。議会答申(一九八九年三月)である。高度経済成長期以降、マイカーブームにより馬車に代わって自動車が道路にあふれるようになり、馬糞の悩みが解消される一方、冬期に使用されるスパイクタイヤに悩まされることになった。スパイクタイヤが粉塵の問題をもたらしたからである。これに対し、仙台市、札幌市などの都市住民が脱スパイクタイヤ運動を展開した。その結果、一九八五年に宮城県、八七年に札幌市、八九年に北海道がスパイクタイヤを規制する条例を制定し、九〇年にはスパイクタイヤ粉じん防止法が成立した。札幌市の条例に続き、北海道全市町村を対象範囲とすることになった北海道の条例制定に至る経緯や基本的な考え方が分かる資料を取り上げた。資料16は、かつて都市に広く存在した公衆浴場(銭湯)に関する資料である。高度経済成長期には自家風呂が普及資料17は、都市施設の一つ、都市公園に関する資料である。高度経済成長期以降、各都市で都市公園が着実に建設資料18は、一九八九(平成元)年に制定された北海道脱スパイクタイヤ推進条例制定につながる北海道公害対策審第三節 高度経済成長期後の都市生活173 解 説
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