北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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2 戦災都市の復興状況戦災復興院『復興情報』二巻七号北海道戦災都市復興印象記函館市本市は昨年七月十五日艦載機に依り空襲を受けた。被害を受けた場所は本市で最も古くから開けた旅籠町附近で、焼夷弾攻撃に依り四〇〇戸焼失し、其の他市内諸所に散発的投弾を受けた。本市は又過去に於て珍しい位火災の被害のある市である。明治以後に於て二十二回の大火災の記録を有し、特に昭和九年の大火災は記憶に新しい処である。この様に火災の多いのは、気象記録に依れば暴風雨の多い事と、風速の大なること及び気温と湿度とに起因している。暴風日数は年一三八回と云ふのがあり、年平均風速は四・戦災都市の復興一九四六年七月〈中略〉釧路市七米である。今回の空襲に依る被害は従来の火災の被害からみれば比較的僅少であるが、之に対し復興の状況は極めて悪く、四〇〇戸焼失の内一七戸(之も粗末なバラツクである)しか復興してない。之が原因は他都市同様資金封鎖と、之に関聯した資材の入手難であるが、他に罹災区域内の人達が各自近郊に身の振り方を定め帰つて来ない等である。清掃は罹災区域一一、〇〇〇坪の内道路を除く宅地部分七、二〇〇坪完了している。罹災区域内に無傷の土蔵八棟残存し、之が区画整理施行上の障害となつて之の対策に付いて市当局は調査中である。本市としては大部分の罹災者が近郊に散逸した儘なので、専ら主力を外地よりの引揚者の救済においている模様で住宅緊急措置令に該当する建物の利用もこの方面に向けられている。将来本市が如何なる性格の都市として立上るかは、市当局者の意見に依れば大体次の如くである。第1節 占領下・復興期の都市175   (2) 

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