であること。ロ、去る四月より強化された資金封鎖(五、〇〇〇円)が決定的である。ハ、其の他北国に於ける特徴として、冬期間作業が全然不可能である。戦災地に於ける住宅問題解決の方法として戦災地住宅組合が結成され、現在組合数八、組合員一四七名で、今迄の住宅(持家)の内二割迄が之に依り解決出来さうである。組合の目的は資材の入手、斡旋、資金の獲得等である。尚十五坪の住宅は北海道に於ては気候上の特性より小 根室町に過ぎ、一室に付副室の如きものを作る関係上もつと広いものが望まれている。根室は北海道東端にある港町である。明治三十二年開港場として指定されてから、対岸千島の漁場より獲れる海産物を主として中支那〔(華中、中国の中部〕上海方面へ輸出し、貿易港として栄えた町である。編者注)昨年七月十五日昼間アメリカ艦載機の空襲をうけ、一挙にして全町戸数の七割二五〇〇戸を灰燼と化してしまつた。それに引続きソ聯の参戦、八月十五日の終戦となり、ソ聯軍は対岸の千島を占領したので、それ迄港内に充満していた大小の船舶は行くべき職場、千島の漁場を失つた為段々と減少し、現在港内には殆ど船は居ない。然し最近では根室港の南に位する花咲港が沖合漁業の基地として活潑に動き出した様である。かくて現在では根室港より花咲港へと経済中心は移りつゝある。根室港の将来が如何なるかは今後の国際情勢就中ソ聯の出方が最も影響大である。花咲港も根室町の一部ではあるが、港湾設備その他未だ根室には及ばないので、漁港として発展する為には今後施設の拡充をする必要がある。本町の復興振りは現在自力建設に依り三〇〇戸、厚生省住宅(四戸建六〇棟)二四〇戸、(但し之は今年の越冬には極めて困難なものがあつた)建設され、その他昨年北海道庁より木材一万石の割当をうけ、之を戦災者及び千島よりの脱出者に有料払下げ、約二〇坪住宅を五〇第1節 占領下・復興期の都市177
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