〇戸建設する予定である。かくして罹災戸数の三分の一の建設は決定したのであるが、残り三分の二に対しては現在何等の手段もなく唯国庫負担に依る建設の他処置なしである。何故ならば本町は国民学校が一校全焼、病院四戸全焼で之等の建築に要する費用莫大となるからである。〈中略〉本別町本別町は昨年七月十五日艦載機の空襲をうけ、午前八 一面町当局の防空指導に欠陥なかりしとは云へないもの時より僅か四十五分の間に全町戸数八三〇戸の約五〇%に当る四二七戸を焼失、或は爆弾に依り破壊された。空襲当日は西北の軟風が吹いており、之が西風に変つて燃焼が鉄道のヤードに突き当り初めて止んだ相である。罹災者二、一〇〇人中死者四一名を出した事は、町民の空襲に対する待避方法が不徹底であつた事が原因であるが、がある。主要なる罹災建築物としては町立中学校大破、私立女学校大破、国民学校中破となつている。復興の状況は罹災戸数四二七戸の内二九〇戸新築し、残りは破壊せる部分を修理し、現在では全部復旧完了と云ふ好状況である。但し新築せる建物は仮設建築が多く本建築は建築制限に引つかかつて建ち得なかつたのである。大破した中学校は目下修理中で幸に戦災保険に加入してゐたので保険金三〇万円が入り、之を修理費用に充てているが、労賃、資材の価格値上り等により約一〇〇万円要する見込である。又女学校は使用不可能程度に破壊されて、之が為同町にある元陸軍軍馬補充部の建物を使用し授業を行つている。国民学校は約半分使用不能で残りの校舍で、二部教授を行ひつゝある。現在破壊部分の修理をする予定であるが、工費二〇万円を要す見込である。町当局としては、前記中学校の不足復旧費や国民学校の修理費(計九〇万円)が莫大で、之に対する財源無く国庫補助を要望している。さて本町の復興が早かつた原因としては次の点があげられる。一、罹災地の約五〇%が町有地であり、残りは一人の所第1部 社会・文化 第3章 都市化と都市の生活178
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