北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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めるべきだろう。本書においては、このことを踏まえた上でのこととして、戦後における樺太・千島の先住民族の北海道への「引揚げ」と記述する。の収録として藤村久和(編)『ヘンケとアㇵチ』(札幌テレビ放送、一九九四年)、地域に即した記録として『樺太アイヌと常呂』(ところ文庫三九、二〇二三年)などがあるが、公刊された記録の数は決して多くはない。(一九二六~八四)の回想に基づく記録である。日本統治下の樺太では、ウイルタらアイヌ以外の先住民族には政府が戸籍を設けていなかったため、戦後の引揚げをめぐる労苦は更に厳しいものがあった。資料6には、そうした労苦の数々が、ゲンダーヌが「北川源太郎」となる過程も含めて綴られている。ウイルタの人々の回想や記録は、この北川源太郎の記録を除けば、後年、ウイルタ協会が刊行した通信や道立北方民族博物館の刊行物にわずかに見られる程度であり、ウイルタ以外の人々については公刊された記録はほとんどない。公刊された記録が乏しいことは、その当事者が社会の少数者として経験した厳しい歴史の反映であると受け止めるべきであって、このような経験をした人々が現在の北海道に至る歴史の中にいることを忘れてはならない。当時、民族学・人類学の学界が連合して「奄美」「沖縄」「佐渡」などの地域、特にその地域の人々を調査するプロジェクトが進められており、この「綜合調査」もその系譜に属すると位置付けることができる。「人種的民族的系統」資料5は樺太から引き揚げた阿部洋子氏の回想記録である。樺太からのアイヌ民族の引揚げについては、聞き書き資料6は、アイヌとともに樺太の先住民族であるウイルタのダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名:北川源太郎)資料7は、日本民族学協会による「アイヌ民族綜合調査」について、事業の開始を予告する学会誌の記事である。215解 説(4) 「戦後民主主義」のなかの「アイヌ研究」    

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