「固有文化の本質」を究明することを社会的使命として掲げたこと、「固有文化は急速に消滅しつつある」から「速やかに…綜合調査を遂行」しなければならない、それが「福祉政策」にもつながるのだ、とその緊急性や「意義」を掲げる姿勢は、これらの学問の多くが掲げてきたことでもある。しかしこの姿勢は、専ら学界の側の、ひいては多数者の側の一方的な意義付けであって、当事者の認識とは乖離していたこと、むしろ、こうした学問の姿勢が、少数者に対して「系統」への関心や「本質」への価値観を押し付けるものであったことが、近年、ようやく指摘されている。これらの学問の系譜については坂野徹『帝国日本と人類学者 どの研究があり、「アイヌ綜合調査」に焦点を当てたものとして、木名瀬高嗣「「アイヌ民族綜合調査」とその周辺」(『科学史研究』五一、二〇一二年)などがある。一巻 植物篇』(日本常民文化研究所、一九五三年)の「序言」である。ここで知里は、「従来の文献」に「致命的な欠陥」を含むと述べ、自著はあえて「屋上更に屋を架するような挙」に出たのだと述べる。ここで知里のいう「アイヌ研究の正しい発展」は、いわゆる学術的な正誤の問題とともに、アイヌ研究の基本的な姿勢・まなざしへの批判があると受け止めるべきだろう。 「産業・経済」の巻において、いわゆる農地改革がアイヌ民族にとってはむしろその土地を失わせることが多かった問題を紹介した。先住民族であるアイヌにとって、明治期以来の伝統的な生活基盤・生活手段に大きな制約を受け資料8は、こうした学問の潮流の中で研究を続けた知里真志保(一九〇九~六一)による『分類アイヌ語辞典 生活実態とその調査事業一八八四―一九五二年』(勁草書房、二〇〇五年)な 第第二節 高度経済成長期の生活と文化216第1部 社会・文化 第4章 戦後社会の中のアイヌ民族の生活と文化(1)
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