北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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てきたことに加え、戦後社会においても生活基盤の喪失が続いたことは、人々の暮らしが、社会的・経済的な厳しさの中に置かれることにつながった。この状況に対して行政がようやく全道的な取組に着手した最初の事業が「不良環境地区対策事業」である(資料9)。その結果を「北海道旧土人集落地区の概況」などにまとめ、これらに基づいて「生活環境改善施設の整備」などの計画を立て、「同和対策並にスラム街を対象とする」施策に準じて国費の補助を受け事業を進めたいと述べる。その後これに基づく事業が実施されている様子が、例えば社団法人北海道ウタリ協会『先駆者の集い』創刊号(一九六三(昭和三八)年、同協会(編)『アイヌ史 六)年に再録)の誌面に報じられている。なお、資料9は、アイヌ民族の歴史について「居住地域の限定と職業及び風習を強制された事が多かった」と、土地の剥奪や強制的な移転や、いわゆる同化政策の問題などに触れている一方で、「一般に比し極めて低位の生活を余儀なくされている」人々が多いことについて、その主因を「経済的な低位性と生活慣習」に求めるような認識も見られることには注意が必要である。このことは、取り組まれた施策の多くが専ら社会福祉的な事業であって、アイヌ民族に対する社会の構造的な差別・不平等の解消を目指す施策に進まないことなどにつながった。道による生活支援事業は、その後「北海道ウタリ福祉対策事業」として継続され、道は、事業の成果と課題を確認するため一九七二年から「北海道ウタリ生活実態調査」を七年ごとに実施した。また、この事業は道が「不良環境地区」として認定した地域だけを対象とした施策であって、実際には行政の視野から外れた人々は施策の対象外となっていたことにも留意が必要である。例えば、札幌市には、明治初期まではアイヌの集落が確かに存在し、その後も市街地に暮らす人々がいたにもかかわらず、後年になると、市街地の形成・拡大資料9は、その前段としてアイヌの人々が居住する地域として道が認定した箇所についての生活状況調査を実施し、資料編 北海道アイヌ協会・北海道ウタリ協会活動史』一九九四(平成217解 説   

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