北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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際に各地の人に向けて自分たちの文化を紹介しつつ、現在を語ることを続けた。後年、萱野は自ら伝統文化の記録と保存に努め、二風谷にアイヌ文化資料館を設立し、さらにアイヌ語教室の開設など自分たちの言葉や文化を取り戻す活動を進め、一九九四年からは参議院議員として国政内での権利回復運動の前面に立つ。その生涯は、資料10を収録している『アイヌの碑』を始め、萱野れい子『写真で綴る萱野茂の生涯 化協会、二〇〇八年)などに詳しい。と保存のための資料館建設を志した、十勝地方幕別町の𠮷田菊太郎(一八九六~一九六五)による活動の記録である。刊行、同書の売上げを館の資金に充てつつ、周囲の理解と支援を求めた。こうした活動が、一九五九年の蝦夷文化考古館(現・幕別町蝦夷文化考古館)の開設につながった。𠮷田も、萱野も、望んだ資料館の開設までは長年にわたる尽力を要した。自分たちの文化を自分たちで伝える、そのことがままならない時代が続いていた。保存などに係る事業に関するものである。一九五六年、政府・文部省は、英雄叙事詩などを金田一京助や知里真志保ら研究者の求めに応えるかたちで自らノートに記して提供し、また録音に協力してきた、登別出身の金成マツ(一八七五~一九六一)を無形文化財保持者に指定し、紫綬褒章を授与した。アイヌの伝統文化の保持者に対する国からの顕彰の嚆矢である。資料12はこのことを資料11の①~④は、資料10とほぼ同じ時代に、自ら社会の誤解や偏見を払拭したいと考え、かつ、伝統文化の記録資料11④にあるとおり、𠮷田は自ら「アイヌ文化考古館」の建設を企図し、一九五八年には自著『アイヌ文化史』を資料12から資料15は、こうした時代における行政や公共事業者の側からの、伝統文化に対する顕彰や調査・記録・伝統的生活・文化への日本社会からの着目アイヌの魂と文化を求めて』(農山漁村文219解 説(3)     

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