北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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クシャインの法要行事が営まれ、当初は観光行事の性格が強かったところ、それに対する批判などによってアイヌ民族が中心となった運営となり、現在の社団法人北海道アイヌ協会による行事に至っている例や、一九七四年に釧路出身の結城庄司(一九三八~八三)らが中心となって始められた、クナシリ・メナシの戦いの犠牲者を弔う「ノッカマップ・イチャルパ」、一九九一年から旭川市で開催されている「銀の滴降る日 者では、前出の結城庄司らが一九八二年から札幌市で始めた、その年に川を遡上してきたサケを迎える儀式(札幌での行事名は「アシリチェップノミ」)がその例である。このサケを迎える儀式は、伝統的な儀礼の継承とともに、伝統的なサケ捕獲法の学習と継承、さらには、アイヌ民族の伝統的な生業であったサケの捕獲が明治期に多くの地域で禁止・制約を受けてきた歴史の捉え返し等の意味を有するものとして、その後、千歳市や登別市などで、地域のアイヌの人々によって試行・実践されるようになり、こうした伝統的な儀式におけるサケの特別採捕にもつながった。一九八五年、アイヌ民族の伝統的な芸能が「アイヌ古式舞踊」として文化庁から重要無形民俗文化財とされ、その保持団体として道内九地域の伝統芸能の保存会が指定されたことを記念して開催された鑑賞会において、会の主催者である北海道ウタリ協会・北海道アイヌ古式舞踊連合保存会が配布したパンフレットに掲載された、ウタリ協会理事長兼連合保存会会長の野村義一(一九一四~二〇〇八)による「ご挨拶」である。この重要無形文化財指定には、アイヌ民族の芸能が社会の多数者にひとつの芸能として十分に認識されていないのではないか、その認識を改めて、自分たちが「誇りをもって」学び・伝えていけるようにしたい、との願いがあったものと受け止めるべきだろう。一方で、国による文化財指定の意義付けが、アイヌ民族の芸能をあくまで「古式舞踊」に限定してそれを価値付けることにあった点はもちろん看過できない。(この点については、早くは東村岳史『戦後期アイヌ民族―和人関係史序説』(三元社、二〇〇六年)、近年では谷地田未緒「「アイヌ古式舞踊」の文化財指資料21は、その一つ、登別市における、伝統的な漁獲法「ラ・オマップ」の復興と儀式の案内状である。資料22は、知里幸恵生誕祭」などがある。後224第1部 社会・文化 第4章 戦後社会の中のアイヌ民族の生活と文化  

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