北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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定の経緯に関する考察 年)などが詳しい。)その上でなお、この「ご挨拶」が、「思うに今後北海道においてアイヌ文化以外のもので、国の重要無形民俗文化財の指定を受ける機会はおそらく二、三百年が経過しなければ北海道独自の文化としては生まれてこないだろう」と述べることには、単なる自文化に対する自尊心や排他的な意識ではなく、まさに自分たちの文化こそが「北海道独自の文化」の、少なくともその先駆であり基軸であるはずだ、という意識が込められている。く開催した「アイヌ民族文化祭」の第一回のパンフレットに掲載された、理事長・野村義一による「ご挨拶」である。この文化祭は現在も毎年継続して開催されているが、この第一回は足かけ三日間にわたり、各地の「古式舞踊」保存会の公演や、アイヌ語教室による「アイヌ語劇」の上演など、本書でも紹介してきた文化活動の成果を披露する機会となり、口承文芸の口演、伝統的な衣服の「ファッションショー」なども盛り込まれた内容になっていた。ヌ新法」案)の制定を求める要請活動が続けられる中で、当時の政府が、「アイヌ文化の振興」と「アイヌの伝統等に関する国民に対する知識の普及並に啓発」を図ること、それによって「アイヌの人々」の「民族としての誇りが尊重される社会の実現」と「我が国の多様な文化の発展に寄与」することを目指す、とする目的・内容の法律として制定した法律である。同法については、アイヌ文化の振興などを初めて積極的に位置付けた法制としての評価もある一方で、「アイヌ新法」がアイヌ民族の先住民族としての権利の回復や歴史の見直しとともに文化の継承と復興を求める内容であることに対し、専ら伝統文化の「復興」と「理解促進」に法の視野そのものが限定されていたとの批判も多く、かつ強く見られた。資料23は、社団法人北海道ウタリ協会が、初めて自分たちの文化を、自分たちの仲間や社会に向けて広く紹介すべ資料24は、直接的には北海道ウタリ協会が一九八四年の総会で可決した「アイヌ民族に関する法律(案)」(「アイ知里真志保と本田安次の原稿から」(『国立アイヌ民族博物館研究紀要』第一号、二〇二三225解 説  

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