はない。自分が選んだ日本にとびこむほかに道はない。「日の丸」の旗がはためく引揚船・興安丸を見たとき、源太郎は胸をつまらせた。乗船するときの感激、タラップを踏みながら源太郎は涙をながした。デッキに正夫がやってきた。船室で新聞記者が源太郎を探しているという。どもりながらも日本語で話す正夫。正夫も日本人になったでは祝酒の一升ビンが並べられ、にぎやかだった。腕章をつけた記者の一人が、「オロッコの北川さんですか?」、「ダー」と答えかけ、はっと言葉をのみこんだ。―なぜ日本に引揚げるのか。引揚げ後、どこに落着― ― くのか。引揚げ後の生活は、等々。どの質問も源太郎にはむずかしかった。考えながら一つひとつに答えるのが面倒くさかった。カメラを向けられたり、聞き直されたり、ひどく疲れたことだけ覚えている。異邦人・源太郎〈中略〉〈中略〉そのことが嬉しかった。船室(ママママ〈()ウィルタであることをこの時ほど強く感じたことはな源太郎が舞鶴に引揚げたのは一九五五年(昭和三十年)四月。接岸する興安丸のデッキから、岸壁で振られている「日の丸」を見て源太郎は泣いた。隣の男が泣きながら手をふっている。源太郎も手をふった。「日の丸」の旗や、横断幕、立ち並ぶ幟に迎えられ、いよいよ日本の土を踏む感激に体じゅうが硬直するほど緊張した。源太郎は泣きながらタラップを降りた。出迎えの人たちに源太郎は何度も何度も頭を下げた。大勢の出迎え、その歓迎が心にしみて嬉しかった。が、眼にうつるのは再会を喜び、抱きあって号泣する戦友と家族。握手ぜめに顔をくしゃくしゃにして泣く戦友の姿。源太郎は自分が独りとり残されているのを知った。上陸するところを間違えた声。〉)やっぱり間違えた、俺の帰るところではなかったかった。北川源太郎はいない。ここに立っているのはウィルタ・ゲンダーヌである。心の底まで冷たくなっていく自分を感じた。源太郎はさめた目で〝万歳〟にわく。初めて孤独を知った。あちこちであがる歓第1節 戦後改革・制度整備期の生活と文化235
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