北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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「日の丸」をみた。流氷が来る網走へチヨさんから網走に流氷が来る話をきき、川や湖、森や山の情景をきいているうちに故郷を思い、源太郎は網走に住んでみたいと思った。チヨさんもそのことをすすめた。稚内に戻って親方に事情を話し、治三郎さんとも相談して網走行きをきめた。オホーツクの流氷をみたいばかりに湧網線まわりで網走に着くコースをとった。車窓からオホーツク海をみていると樺太にいるような、網走にゴルゴロやアンナが待っているような錯覚をおこした。網走に住むことをきめたものの、職業安定所で戸籍のない者には就職の斡旋ができないことを聞かされ、愕然とした。舞鶴でそのことを聞いてはいたが、手続きをしていなかったのである。自分では日本人北川源太郎になり、北海道に渡ったつもりでいたが、無籍者もの流れ者でしかなかった。稚内では福祉課の世話で就職したので、〈中略〉そのつもりでいたのである。このままではどこにも就職はできない。市役所の戸籍係に出かけ、家庭裁判所で就籍許可の申立をすることを聞かされた。この申立を審判事件と称し、家事審判官(裁判官)が審理をし、許可、不許可を決定するという。日本人・北川源太郎になるためには面倒な手続きを必要とすることを知った。サンフランシスコ条約発効(一九五二年、昭和二十七年)前の引揚者は転籍手続きのみで簡単であったが、その後、平吉をふくめ戸籍をもたない樺太の原住民についての審判には時間がかかった。樺太時代の源太郎たちは、あくまでもカッコつきの日本人であって、日本人としての証明はされないままでいたのである。申立をして一ヵ月後の二月二十九日、許可の審判が   の下った。カッコつき日本人ではなくなった。実に三十二年目、初めて日本人・北川源太郎になった。「バンザイ」を叫びたいような晴々した気持になった。(北海道立図書館所蔵)第1部 社会・文化 第4章 戦後社会の中のアイヌ民族の生活と文化236

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