北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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まだその男は父といろいろ話し合っているのです。そして夜もかなりふけたころ、男はわたしのほうに話しかけてきました。右膝が曲げられないらしく、その足を伸ばして座ったまま、 「茂さん、相談があるのだがひとつ聞いてはくれませんか」と、いやになれなれしいのです。聞くと、二風谷から      紹介、云々」については全く興味がありませんでした。芸達者なアイヌを連れて内地へ渡り、各県の小学校や中学校でアイヌの踊りをして見せ「アイヌ文化を正しく紹介したい」、内地の人たちはアイヌは今でも狩猟ばかりしていて、日本語もしゃべれないと思っている。これではアイヌのためによくない、などと男は上手に話すのです。そのころわたしは、シャモにアイヌ民具を持ち去られることに腹をたてていましたが、「アイヌ文化を正しくそれに、萱野組の組頭としての信用もでき、まあまあのお金も得ることができるようになっていましたから、わたしは、その男に、興行めいたことはいやだ、と断りました。すると男は、 「いや、茂さんに唄ってくれとか踊ってくれとはいいません。唄ったり踊ったりする人たちに同行して、木彫の熊やお盆などを持っていって、行く先々で売って儲けていただけばいいのだ」と言うのです。父も、きっと儲かるから行ってみるように、とわたしにすすめます。わたしも、山から山、人里離れた飯場生活ばかりでしたので、海、津軽海峡を渡って内地をみたいという気持で揺れました。この海千山千の男が、わたしの心の動きをみのがすはずはありません。男は、さらに、ああしても、こうしてもお金が入ってくると、儲かる話を並ベたてます。わたしは実際お金が欲しかったので、男の言うように内地に渡る決心をしました。ただし条件として、わたしは興行とは全く無関係にし、自分の旅費はわたしが負担第1部 社会・文化 第4章 戦後社会の中のアイヌ民族の生活と文化242

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