北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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する。売る木彫品の仕入れも自分の金でやり、売った金はわたしのものとする、ということにしました。あとになってわかったことですが、男は父へ渡しもしない金の領収証を書かせ、自分は借用証を書いて置き、そそくさと次の日の朝家を出ていってしまいました。父をふくめ、わたしたち一行九人が、最初の目的地秋田市に着いたのが、その男が二風谷を去ってからわずか三週間後の五月の末でした。男はたしかに、前もって巡回すべき小、中学校を決めて待っていました。わたしたちは翌日からさっそく学校回りをはじめ、小学校や中学校の講堂の演台で、アイヌの踊りや子守唄など、七種類の演目が入ったものを、四十分でみせることにしました。その解説は貝沢前太郎さんがやりました。わたしはその踊りや唄の最中なんの手伝いもせず待っていて、それが終わってから〝商売〟をするわけでした。 内地の人たちのアイヌに対する認識不足は、〔人名〕〈中略〉編者注)〔(前段でアイヌ文化を紹介するよう著者に勧めた男〕が二風谷のいろり端で聞かせてくれた通りでした。学校の先生でさえ、「日本語が上手ですね」「着ているものは日本人と同じですね」などという有様です。かぞえ二十九歳のわたしは、そういう質問におどろき、なんとなくアイヌの本当の姿とか文化を紹介しようという気になったものです。そのうち、マイクを握って熱っぽく生徒や先生に語りかけている様子などが新聞に載ったりすると、あちこちの学校から来てほしいという話がつぎつぎとあり、興行はうまくゆくかに思えました。わたしたちの世間知らずもいいとこでした。わたしは、ずるがしこいシャモのわなにかかった自分を腹だたしく思いました。北海道へ帰る金をわたしが工面して、一行は二風谷に戻りました。しかし、十五万円の借金を出稼ぎですぐ返せるもので        〈中略〉第2節 高度経済成長期の生活と文化243

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