北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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アイヌ文化考古館建設について御願いその昔、北海道は蝦夷即ちアイヌ人の自由の天地であり、大自然に恵まれて何不自由なく楽しく住んでいた蝦夷島、北海道は急激な拓殖政策の進展に伴い、古潭は村に町にと拓け、限りない発展を示しつゝあることは誠に慶ばしい事でありますが、其の反面激しい生存競争に耐えられぬ同族の中には世の敗残者として土地を失い、古潭を離れて其の行方さえ知れぬ者が少くありません。又進化向上した者は都会に移り、古潭に停る者も生活様式の改善に依り、或は和人との混血に因り、同族本来の姿は年々薄れ、古潭は一般和人部落に化しつゝある現状でありまして、おそらく近い将来には全くアイヌ人の姿は見られなくなることでありましよう。斯くして先祖が起き伏し日頃意を通ずるために用いた言葉や聖い祭り事、それは家の内外にヌサと称する祭壇を設けて、諸々の神を祭りました。殊に山猟河漁の加護編』一九九八年 所収)一九五九年神であると云われるケマコシネカムイ即ちお稲荷さんを始め霊鳥コタンコロカムイ(梟)或は陽の神、水の神及び霊峯ヌプカウスヌプリ(鹿追、然別)或はウぺぺサンケ(狩勝)ペテエカリ(日勝)等の連峯、その他各地にそれぞれの神威、或は霊地が有り、毎年二、三回はカムイトノ卜(ドブロク)を作つて荘厳にカムイノミの大祭を行われたものであります。然るに之等の尊い祭り事も今は殆ど忘れられていることは誠に遺憾な極みであります。又鎌倉時代から本道開拓のため移入する内地人の奴僕となつて、深い茨を分けて道しるべとなり、或は河に丸木舟を操つて荷役に努め、開拓移民の先駆者として文字どう()り犬馬の労に身命を曝す。その酬として与えられた品々及び物々交換に依つて求めた諸々の物が宝物として先祖は大切に保存し、子孫に遺したのでありますが、之等の古俗品も滅亡する者と共に果敢なく消え失せつゝあることは誠に悲惨な状態であります。一方和人の方々は、古今を通じて神仏に信仰せらると お   第2節 高度経済成長期の生活と文化247

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