北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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これと同時に記録作成の措置をとるべき無形民族資料二件が選定されたが、この中にはアイヌユーカラの伝承者幌別町登別温泉の金成マツさん(八〇)が含まれ文化財保護委が中心となってその記録を作成、保存の措置をとることになった。特別史跡 大湯町環状列石(秋田県鹿角郡大湯町)彦根城跡(滋賀県彦根市)特別史跡および名勝 特別天然記念物 豊岡市、養父郡、出石郡) 枇榔島亜熱帯性植物群落(鹿児島県囎唹郡志布志町)御岳の鏡岩(埼玉県児玉郡神川村)加茂の大クス(徳島県三好郡加茂村)ローマ字で百以上キリスト教伝道のかたわら研究 「生きた民族資料」として選定された金成マツさん(八〇)は、幌別酋長カンナム翁の孫に当り現存しているユーカラ伝承者としては第一人者。ユーカラをおぼえ語り得る人はマツさん以外にはほとんどなく、マツさんはす鹿苑寺(金閣寺)庭園(京都市)コウノトリ(おもな生息地、兵庫県でに高齢に達し、またこれの後継者もないところから記録保存の措置をとることになったもの。少女のころマキを背負ったまま雪の穴に落ちたのがもとで脚が不自由になったが、そのころアイヌのキリスト教伝道のため函館に建てられた愛隣学校に入学、卒業後は平取、近文などでキリスト教の伝道に当った。この間、母モナシノウクさんからユーカラを受け継いだほか、昭和三年から十九年までにローマ字で書きとめたユーカラは百以上に達している。ユーカラとは文字のないアイヌに伝承されている戦争、恋愛などに関する民俗的な叙事詩だが、このように多数、しかも組織的に発表されたのはアイヌ研究で有名な金田一博士とマツさんよりいないといわれている。マツさんはアイヌ名イメカノといい私の母の姉に当っている。百以上のユーカラを伝承して書きとめたことは大変な仕事で、一つのユーカラをうたうのでさえ夕方から翌朝までかかるのは珍しいことではない。現在、道内北大文学部講師知里真志保博士の話第1部 社会・文化 第4章 戦後社会の中のアイヌ民族の生活と文化      250

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