北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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画を立案したのも、実はこのような時宜に対応した行動のあらわれであった。爾来、この新資料館建設をめぐり、数年間にわたって幾度も論議が繰り返された。そして、昭和五五年に「資料館建設企画委員会」を組織し、「アイヌ民族資料館建設構想」が策定されるに至った。ただし、この段階では一応のメドとして昭和五七年の春着工、翌五八年五月完成という計画を立てただけで、実現まではまだまだ克服しなければならない基本的な課題が残されていた。計画立案時から構想策定まで数年の期間を費やしたのも、この課題をどう克服していくか、その対策の検討に大きな時間をとられたためであった。このような課題のうち、最も大きなものは建設資金をいかに調達するかであった。道内の一地方の民間団体が、他の博物館に決してひけをとらない規模の資料館を、数億という資金で建設しようというのである。地方公共団体が設立する館と企業博物館を除き、純然たる民間団体が設立するこの手の規模の館は道内では皆無であり、全国的にもそうあるものではない。もちろん、当財団がすべて自己資金をもとに建設するにはとうてい不可能であった。そのため、どうしても官費補助や民間団体が付与する補助金をあてにした資金体制を組まざるを得なかった。そこで、昭和五五年度からこのような補助金交付の可能性のあるいくつかの機関に働きかけた。そして、五六年度に㈶日本船舶振興会、北海道、白老町の三者に補助金交付を願い出た。しかしながら、この最初の申請は、当財団の準備体制が充分でなかったのと、申請者としては新参であったがために、残念ながら見送りとなってしまった。一年を経過した翌五七年度後半にかかる三者に再度申    請を行った。この一年間、三者に何度も足を運んで陳情を重ね、万全の体制を整えていっただけに、配分者側にも当財団の意を充分に汲んでいただけたという感触があった。この年度内に㈶日本船舶振興会の補助が確定すれば、次年度の上半期に決定される北海道及び白老町の第3節 伝統文化の「保存」から「学習」「継承」へ263

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