北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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二者の官費補助がきわめて有利に運ぶ予定であった。必要な努力はすべて怠たることなく実行し、あとは天命を待つだけとなったのである。ところが、またしても㈶日本船舶振興会の補助が見送られることになってしまった。この年度は、当財団ばかりでなく、道内の申請団体はすべて対象外となった。これは道内の一部の団体が同財団の基本方針を批判し、世論を騒がせたことから、この問題が鎮定するまで同財団がやむをえずとった措置であり、配分する側にとってもされる側にとっても実に痛手の出来事であった。その後、この補助交付に代わる助成をいくつか仰いでみたが、昨今の経済状況のもと、改めて厳しい現実を知らされることになった。このような経緯を経た後、当財団内部で建設方針につ  •  にも五八年度の上半期において、北海道及び白老町からいて協議された結果、官費補助が確定した際、それを除く資金は独力でまかなうという方針が決定された。幸い多大なご配慮をいただき、双方から合わせて一億円の補助金が交付されるに至った。残りの資金の二億六千万円は、借入金を主体として当財団が調達した。ある意味では多少の冒険であったが、それだけ、アイヌ民族資料館の建設は内外から期待がかかり、緊急を要していたのである。このような資金面に加えて、もう一つの大きな課題は、アイヌ文化専門の博物館として様々な機能を展開していく上で、それにみ合うだけの資料の収集アイヌ民族資料(有形)は、アイヌの生活の変容に伴い古くから複雑なルートを経て分散されている例が多く、今や他の博物館資料と異なり民間から収集するという作業は非常に困難になっている。当財団もこれまで可能な限り収集活動を行ってきたとはいえ、将来予定される「アイヌの生活文化を多面的にしかも立体的に展示し、適切な普及事業を行う」という活動には、質的にも量的にも一定の限界があった。この面で、甚大なお力を尽くしていただいたのが札幌市在住のアイヌ服飾研究の第一人者児玉マリ先生並びに整備であった。第1部 社会・文化 第4章 戦後社会の中のアイヌ民族の生活と文化264

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