資料1は、道庁長官の「事務引継書」の一部を抜粋したもので、一九四五年における道民の一般衛生状態が示され資料2は、翌年の一九四六年における伝染病の防疫についての長官引継ぎ事項である。発生数は未曽有のものとな一九四五(昭和二〇)年九月、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、覚書によって日本政府に公衆衛生対策に関する処置の指令を出した。疾病の蔓延や医師数、伝染病患者数やその療養施設、予防接種、昆虫駆除、花柳病撲滅等がその内容であった。たものである。長期にわたる第二次世界大戦にもかかわらず、人口動態のすう勢は戦前と変わらぬとしつつも、食糧不足や戦争の負担で道民の体力は低下し、その結果として、結核や各種伝染病の増加を伝えている。妊婦の早産や、乳幼児、児童の体重低下が生じ、楽観を許さざる状況であり、空き家を利用した結核保養所や予防接種、防疫対策、道民の体力管理に努めると述べている。一方、そのためには人口比において著しく負担過重となっている北海道の医師等の適正配置や医療関係者の育成が課題であり、対策として庁立女子医学専門学校を設置したことや保健婦の養成を図るとしつつも、終戦による医師の復員によって負担は緩和されるのではないかと予想している。衛生状態伝染病の防疫体制解 第一節 戦後の制度整備期の公衆衛生279解 説(2) 説 (1)
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