北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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る。たとえ医療機関が設けられてもその経営は困難とされる医療対策上特に考慮を要する第二種無医地域は、全国数の一七・八%が道内に位置しているとして、その解消のための施策の方向を示している。翌年の一九六一年には小樽市の医師会会員による無医部落への巡回医師団が結成され、へき地中のへき地とされた開拓部落からその活動が始められた。延べ五七七名が一〇ヶ所を巡回している。戦後、医師、看護師等の医療人材不足に悩んできた道は、その配分を適正化する意図のもとに地域医療計画を進めていたが、新たな課題の発生をうかがわせるものが資料5である。これは、一九八七年に旭川市医師会がむしろ適切な医療供給体制の崩壊にもなるとして知事等に提出した要望書であり、計画に盛り込まれた二次医療圏の必要病床数によって、札幌圏に病院の新設が相次ぎ、中核都市の医療人材が引き抜かれる状態を危機的であるとして厳正な指導と配慮を求めている。一九六〇(昭和三五)年六月に夕張市で発生したポリオ(急性灰白髄炎)は、瞬く間に全道に広がり、札幌市での八月の流行でピークを迎える。資料6はその流行の状況を把握した道衛生部の中間報告の一部である。当時日本では不活化のポリオワクチンを使用していたが、その国内生産の供給は需要に対応できず、予防対策は滞り気味であった。流行を受けて札幌市に「北海道小児まひ予防協会」が設立され、市立札幌病院にGHQから寄贈された一台しかなかった人工呼吸器「鉄の肺」を購入して呼吸麻痺の患者を助けようと、札幌市医師会と札幌市小児まひ母の会は募金活動を行った。また、全道母と女教師の集いは、厚生省に生ワクチンのソ連からの緊急輸入を働きかけ、国は代わりポリオの流行とその対策第三節 疾病とその対策281解 説(1)   

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