設立されたのは一九六九年で、七四年には三三都道府県の被害者団体からなる「スモンの会全国連絡協議会」が結成された。各地裁における判決、いわゆる薬事二法(改正薬事法、医薬品副作用被害救済基金法)成立と和解確認書調印及びその履行、投薬証明書のない被害者を含む完全救済などをめぐり、全国規模の運動が繰り広げられたが、資料8はその後の行政の福祉対策について北海道スモンの会から堂垣内尚弘北海道知事に宛てた要請書である。患者と厚生省との確認書に則った北海道による恒久対策を具体的に提案している。戦後の感染症の蔓延や医療資源の不足による混乱期を経て、一九七〇年代になると疾病の様相は、成人病や精神疾患、環境問題に起因した公害病などの健康被害へと変化してきた。道民の暮らしに寄り添い、地域の健康問題の特性を把握し、保健活動を担う場としての保健所の重要性が高まったのもこの時期である。摘された、北海道における住民の期待に沿う保健所づくりの問題点である。効率的な保健行政を阻む地理的・気候的条件下での活動や、市町村合併、過密・過疎による管轄区域問題などにより、道立保健所四五ヶ所で機能格差がもたらされていた。疾病の様相の変化に伴う公衆衛生の専門家養成や、問題把握とその対応を練る必要が生じていたが、それを担う衛生行政機能の貧困への懸念が言及されている。資料9は、自治労全北海道庁労働組合が一九七四(昭和四九)年に開催した第一回保健所シンポジウムにおいて指住民にこたえる保健所づくり第四節 地域の健康と福祉283解 説 (1)
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