北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
339/1232

農村医学の必要は医療に恵まれぬ農民の保護のため生まれました。戦争により殆ど無医村化した農村に対して農民は組合病院事業で自衛しました。ですから北海道の農村の医療の荒廃がひどかったので厚生連の医療事業が発展したのです。厚生連は、道内地域によって平均に設立されていません。全国的にみても、アンバランスです。全国の半数の府県には農民による医療機関、即ち厚生病院はありません。その厚生連をバックにして農民による農民のための、農民の病院を創設し、その実践医学として日本農村医学会が昭和二十七年八月に発会しました。私はその創立から今日まで理事となり、昭和二十九年には第三回の会長として札幌で学会を開きました。何と申しても農村医学の基盤は厚生連にあります。組織と事業です。そして農民の健康を守るには予防医学と治療医学の結合にあります。この理想の灯をかかげ、農民と苦楽を共にする実践医学として北海道農村医学会の意義があります。困難なる農村医学のとりくみの医師たち、会員には誇りがありました。厚生連としても、単に病院経営をするだけでは商売事業と大差なく、広く農村の組合員の心からの支援をうけることはできません。北海道農村医学会は厚生連という紐つきと悪口もいわれていますが、止むをえません。その紐を善意に生かし、厚生連も理想の旗を高くかかげ、農民の支援と同意をえることが必要でした。厚生連の医師ら、かつ人道的理想の旗印でもあります。農村医学のとりくみは非常に困難です。手不足の上に能率のわるい農村、農民の間を足で歩き回らなければなりません。農村医学を支援しているのは厚生省ではなく農林省なのです。政府は調査研究の困難な農民の健康の問題、農業、薬害後遺症、機械化の障害などについては少額の助成金を交付してテーマを課しています。こうして農民の疲労症、ストレス病である農夫症、農薬障害、農業機械による障害、振動症、その他一般の予防と健康管理をとりあげてきましたし、全国の中で北海323第5節 医療制度の変遷       

元のページ  ../index.html#339

このブックを見る