4では、漁協・農家・主婦のグループが反対を主張、火力発電所から排出される亜硫酸ガスと温排水による被害の可能性を指摘する。なお、開発主体の北海道電力は、大気汚染や温排水の影響に関するシミュレーションを専門家に依頼して、それを正当性の根拠とした。他方、反対派も、専門家の理解と協力を得てこれに反論している。紛争の過程で科学論争が展開されたということでも、伊達火発問題は特徴的であった。は法的に認められたものとはなってはいないが、世界では環境権を法的に位置づける傾向が強まっている。住民運動が提起したこの新たな考え方は、現在もたびたび採り上げられており、魅力は未だ衰えていない。が、そこを全て解体して片側三車線の道道を建設する計画が持ち上がった。一九六六(昭和四一)年に「小樽運河を守る会」が結成され、多くの市民を巻き込んだ保存運動が展開された。保存を訴える人々にも考え方に不一致があったが、その違いを乗り越えて保存を実現するために小樽運河百人委員会が一九八三年に結成された。資料6は、百人委員会が作成した、道道建設計画を縮小することで運河の一部保存を実現するという代案を示したものである。資料7は、青年会議所が企画したシンポジウムの案内の一部である。伊達火発と同様、商工業者の立場から、経済効果が主張されているが、青年会議所はその後、運河の一部保存の意見表明をしている。北海道には、冷戦下仮想敵国とされていたソビエトと国境を接する北海道に数多くの自衛隊基地が設置された。人資料5は、伊達火発の建設差し止め訴訟の中で提起された環境権の主張である。日本では、今日においても環境権資料6及び資料7は小樽運河保存に関わる資料である。小樽運河は戦後その役割を終え、放置された状態にあった小樽運河保存問題第二節 自衛隊・海兵隊と反対運動334 (3) 第1部 社会・文化 第6章 社会運動
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