北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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口増や経済的メリットを期待して積極的に誘致する地域もあったが、しかし、戦争の記憶がまだ強く残る当時、自衛隊に対する国民の意識は批判的な傾向が強かった。したがって、それらは簡単に地域に受け入れられたわけではなく、左翼勢力や住民による反対運動が展開されたケースも多い。自衛隊基地に対する反対闘争は、労働組合を中心とする左翼勢力が前面に立つことが多かったが、北海道では農業者が扇の要になり、さらに援農のような形を取りながら都市住民が運動に参加する形態も多く見られた。においては、憲法との関わりの中で、自衛隊の存在の正当性そのものを問う主張が展開される。なお、本資料は矢臼別演習場反対運動の支援者のファイルに綴られていたものである。基地闘争は、北海道だけにとどまらず、全国各地で展開され、全国集会が定期的に開催されるなど、横のつながりも強かったし、道内の闘争間の情報共有も盛んだった。臼別であったが、非常に厳しい環境下でその成果ははかばかしくなかった。そこに、自衛隊の演習場として開拓地を買収するという話が持ち上がった。資料9にあるように、当初買収の対象となった農業者たちは計画反対で結束していたが、厳しい経営状態で移転や離農を希望する者が続出し、矢臼別では最終的に二戸が残るのみとなった。二戸の農家による反対運動は、労働組合などの支援を受けながら活動を継続し、資料10の「平和盆踊り大会」をはじめ、資料8は長沼闘争における運動側の声明文である。この資料にも記されているように、自衛隊に関連する反対運動資料9・資料10・資料11は矢臼別演習場反対運動に関わるものである。戦後、酪農地帯として開拓が進められた矢長沼事件矢臼別演習場に対する抵抗335(2)    (1) 解 説

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