流域治水対策検討委員会委員長宛の、千歳川放水路に反対する六団体からの公開質問状である。一九八二(昭和五七)年に計画が公表された千歳川放水路は、当初は掘削予定地の苫小牧市と早来町で、行政も加わっての反対運動が展開された。一九九〇年代になると、この問題に札幌圏の市民団体が加わり、自然保護団体とともに反対運動を先導する形へと変わっていく。たものである。地元では観光開発への期待から推進を求める活動があった一方で、自然保護団体は事業を否定的に捉え、法廷闘争(ナキウサギ裁判)に発展した。北海道弁護士会は、先の千歳川放水路問題はその最たるものであるが、道内で紛争化した公共事業に対して積極的に発言をし、事業の趨勢に少なからぬ影響を与えた。登場した市民ネットワーク北海道は札幌近郊の様々な問題に精力的に取り組んでいるが、この問題はその代表的なものである。バブル期に策定されたリゾート開発に対してその意義を問う運動であったが、事業者の撤退で幕を閉じている。なお、今回の作業では、バブル期に計画されたと思われるゴルフ場開発に対する反対運動に関わる資料も多数資料29は、千歳川放水路問題に関連して、一九九七(平成九)年に道知事の私的諮問機関として設置された千歳川資料30は、士幌高原道路について、北海道弁護士会が「中立の第三者の立場」で当該事業を調査した結果をまとめ資料31は、当別ダム上流部に計画されたリゾート開発に対して、反対派が疑問点を列挙したビラである。資料20に千歳川放水路士幌高原道路当別ダム上流部リゾート開発341(3) (2) (1) 解 説
元のページ ../index.html#357