北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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された貴重な自然であるが、道有地だった河畔林が民間企業に払い下げられ、そこにマンション建設計画が立ち上がった。これに対して住民団体が設立され、札幌の都市部に残された貴重な自然環境保護のために札幌市に土地の買い取りを要求する運動を展開した。戦後の社会運動の中で障害者運動を知的障害(本稿では精神薄弱と表記する場合がある)、身体障害、精神障害の三障害を中心に捉えたい。敗戦直後は旧優生保護法に示されるように障害者への人権意識が乏しく、障害者自身が声を上げることが極めて困難な時代だった。障害者を取り巻く社会環境を整えるためにまず立ち上がったのは保護者や専門職であり、一九六〇年代は障害者入所施設設置運動が展開された。障害当事者自身が運動の主体になり得たのは一九七〇〜八〇年代であり、一九九〇年代は社会への完全参加と平等を目指す運動へと大きく進展した。障害者の人権が明らかに侵害されていたことを如実に示しているのが資料35である。旧優生保護法に基づく優生手術は、障害者に対する差別的扱いであることが示されている。一九四八(昭和二三)年から九六(平成八)年まで継続された旧優生保護法第一条には「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに、母性の生命健康を保護することを目的とする。」、また、第二条には「この法律で優生手術とは、生殖腺を除去することなしに、343資料34は、札幌市議会に提出されたマンション建設反対の陳情書である。豊平区を流れる精進川は、都市空間に残マンション建設反対【障がい者運動】第一節 障害者への人権侵害:旧優生保護法   (2) 解 説

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