北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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概要を伝えたものである。DPIは世界一二〇か国以上が参加する国際非政府組織で、障害者の社会への完全参加と平等を目指し、四年に一度大会を開催し、障害者運動の方向性について議論する貴重な場である。札幌大会では特に障害者権利条約成立に向け、条文の内容を吟味し、障害関係団体の連携が強調された。障害者を全ての障壁から開放することに向け大きく前進した大会であった。戦後の女性団体活動の基盤となったのは、戦中の婦人活動である。銃後の守りとして結成された愛国婦人会や国防婦人会は、かっぽう着にたすき掛けで、街頭に繰り出し、出征兵士の見送りや献金活動などを行った。こうした婦人会は戦争末期には本土決戦体制の中で発展的に解消していったが、非戦時的なものやことへの監視の役割も担い、戦前から活動していた婦人団体は影を潜めることになる。一九三一(昭和六)年、女性の団結によって新社会の建設に努力するとして結成された札幌友の会は、戦時中は借りていた活動拠点を引き払い、細々と例会をしていた。女性の文化水準の向上のために『婦人公論』の読者で一九三四年に結成された白雪会は、戦時中、軍部に睨まれ『婦人公論』は休刊となる。ところが、資料43に書かれているように敗戦の年の暮れに、民主的な婦人の集まりであるという理由で月寒の米軍兵舎のクリスマスイブに会員五〇人が招待され、戸惑いながらも友の会の会員とともに一同和服で出かけると山のようなごちそうやジャズ音楽に迎えられたと言う。終戦直後の駐留米軍と民間の女性団体との貴重な交流の経験談となっている。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は、これに先立つ十月に、日本に対して五つの政策的大改革の指令を出しているが、婦人の解放もその中に含まれていた。翌年、道庁は婦人教育に関する団体の育【女性の人権を求める団体活動】第一節 女性団体の活動再開346 第1部 社会・文化 第6章 社会運動

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