北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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成強化を通達し、全国組織の札幌支部や独自の婦人団体が活動を開始する。組合や労組、あるいは職員組織に、婦人部が次々に誕生した。一九四六(昭和二一)年一月、GHQにより公娼制度廃止に関する覚書が発表されたため、一九〇〇(明治三三)年発布の娼妓取締規則は廃止となり、一九四七年には、婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する政令が出された。しかし、その取締りの対象からは従来の赤線地帯が外され、街娼などによる売春はむしろ増加した。道は、戦前、家族を貧困から救うために身売りされる娘たちの防止策のために就職あっせん等を行ってきたが、戦後は街娼たちの社会復帰や厚生に尽くそうとした。そのための資料として彼女たちの知能並びに作業素質を内田クレペリン作業検査から探った報告書が資料44である。用いられている文言は街娼を余儀なくされた女性への偏見に満ち、結論として街娼は指導、厚生策に当たって程度の差はあれ「精神薄弱者」であることを考慮するようにとし、その作業素質における「異常性」から「常人の列に伍してゆくことはでき」ず、職業に就くことは困難であるとしている。調査の実施は北海道大学の調査班が担当したが、これまでの厚生職業施策の失敗は科学的データでそれが考究されていなかったからであると断じている。婦人矯風会札幌支部など八〇団体が公娼復活反対協議会を結成し、超党派による女性議員の活動で売春防止法が成立したのは一九五六年のことである。施行前は三、〇〇〇人いた売春婦は一時激減したが、年々再び増加に転じ、取締りの強化がなされた。管理売春は減少したが自前売春やアルバイト買春は増え続け、非行少女によるものの増加で売春は低年齢化した。一九六二年に道警本部の通報で北海道婦人相談所が厚生相談を受け付けた人数は二九九人であるが、IQ判定を行うとそのうちの三〇%が魯鈍、痴愚、薄痴などの精薄者(文言は紙面のまま)であったという。売買春は女性に対する過酷な人権侵害であるが、精神障碍者に対する二重の人権侵害であった第二節 戦後女性の人権問題と北海道の対策347 解 説

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