ことが分かる。戦後、女性団体への規制が緩和されると、次々に全国的な団体が結成されていくが、一九五三(昭和二七)年に全国の地域婦人会をつなぐ全国地域婦人団体連絡協議会(地婦連)、翌年には広範な女性団体が結束し平塚らいてうを初代会長とした日本婦人団体連合会(婦団連)が成立している。資料45は北海道内の女性団体の連携を図るために地婦連の地方会として設立された北海道地域婦人団体連絡協議会の設立経緯を記したものである。小樽で開かれた第七回婦人大会で道婦連協結成準備委員会が立ち上がり、三年をかけて第三回委員会の後に総会式、その二日後の婦人大会の席を借りて結成式を行った。また一九五四年には札幌市の女性団体で作る連絡協議会も結成される。北海道では戦争直後に各炭鉱で労働組合が組織され、相次いでその母や妻からなる炭鉱主婦会が結成された。彼女たちは、「暮らしと生命を守る」ための運動や、「平和闘争」と呼ばれる選挙活動を行った。炭鉱主婦会の運動は夫たちの労働運動の補完的な役割にとどまらず、独自の活動も多く展開され、閉山後は地域課題に取り組む別の女性団体と協働しながら新たな市民活動体となっていった。北海道では一九四六年に北炭空知鉱主婦会が戦後初の主婦会として結成され、資料46の住友赤平炭鉱主婦会の結成は一九五二年のことである。期末手当の安さから夫や父や兄弟たちの命が資本家に軽く扱われている、疲れきっている夫たちに残業や公休出勤をさせないでほしいと訴えている。漬物の漬かり具合を心配しながら始まるこの一文は、労働の当事者ではないが、女性ならではの生活者としての生の叫びを伝えている貴重な資料である。連携する婦人団体第三節 高度経済成長期と女性団体の活動の活発化348 (1) 第1部 社会・文化 第6章 社会運動
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