録されている当時の北海道の女性団体の概要である。本文と図表の数値に誤記があるが、組織状況を知る資料としては貴重である。女性解放と女性の特性をいかして有機的につながる女性団体の活動は一九七〇年代になると一層の充実を見せ、資料では、北海道の女性団体数は七二四、七二九であり、図一では全国の一七・一%を示している。全道レベルの組織は三二団体、婦人団体固有の目的遂行や活動が普及した結果であるとしている。また資料では市町村レベルの女性団体や同一目的を持ちながらも全道組織ではない婦人団体、全国組織であるが北海道の地域連合組織のない婦人団体なども紹介している。中には「不幸な子供を生まない」のように一九七〇年代のうちに人権問題の視点からその使用の是非が問われた名称の団体も含まれてはいるが、いずれにしても時代の背景を反映した各種団体が数多く結成されていたことが分かる。高度経済成長は、働く女性の就業率を上げてきたが、第二次・第三次産業の拡大の中で、経済成長期が収束した一九八〇年代になると、そうした分野で働く中高年の主婦層にパートの女性労働者が飛躍的に増加して、新たな婦人問題も生起させた。連は各国に行動計画の実行を勧告し、これを受けて国は国内行動計画の策定を開始したが、資料48では、知事に北海道の計画策定を要望している。北海道の賃金水準は男女共に全国平均以下で、男女の賃金格差も全国格差よりも大きく、本道の働く婦人の賃金は二重に低いとし、その計画を策定するに当たって、男女差別をなくし、あるいは母性保護を強化して婦人の地位向上を図ってほしいとする具体的な項目を挙げ、そのための社会保障の充実について要請している。翌年、一九七八年に北海道は「北海道婦人行動計画」を策定した。資料47は、一九七二年から自治労北海道によって開催されている「いのちとくらしを守る全道集会」の報告書に記資料48は、働く婦人全道集会実行委員会による知事への請願書である。「国連婦人の十年」の目標達成のため、国婦人団体の役割と組織状況349 (2) 解 説
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