北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
366/1232

 「女子に対するあらゆる形態の差別撤廃条約」(女子差別撤廃条約)が、一九七九(昭和五四)年に第三四回国連総会で採択され、日本は翌年コペンハーゲンで開催された第二回世界女性会議で他の五一か国と共にこれに署名、批准に向けた既存の制度改正や法改正、新たな制度や法律の制定に動き始める。資料49は、一九八一年に発足した札幌市婦人問題懇話会が、その翌年に札幌市に提言した「札幌市の女性のための施策への提言 ざして」の一文である。資料50は、北海道の女性の自立プラン策定について諮問を受けた北海道女性会議において、一九八五年に取りまとめた団体意向調査の結果一覧である。いずれの資料も北海道の女性関連の団体が男女平等に向けてどのようなことを目指して活動していたのか、当時の課題をどのように捉えていたのかが良く分かる。道は翌年の二月には旭川、函館、釧路、札幌の四か所で女性の自立プラン策定に関する意見を聞く会を開催している。意見を受けて、「北海道女性の自立プラン」が策定されたのは一九八七年であった。女子差別撤廃条約への批准を目指して、日本は、父が日本人であるなら子の国籍を日本と認める父系制から、母が日本人でも認める共系制へと「国籍法」を改正し、男女の就業機会の公平性を求める「男女雇用機会均等法」を成立させた。念願であった女子差別撤廃条約に批准することができたのは一九八五年のことである。ナイロビでの国連婦人の一〇年第三回世界女性会議では「婦人の地位向上のためのナイロビ将来戦略」が採択され、各国のその進捗に対して見直しや評価を伴う勧告がなされるようになり、以後は国や自治体の政策が次々と実施された。「婦人」という北海道女性の自立プラン国際会議と道民女性の参加女性の自立と地位向上をめ第四節 男女平等参画社会を目指して350 (2) (1) 第1部 社会・文化 第6章 社会運動

元のページ  ../index.html#366

このブックを見る