も、不屈に斗う杉野・川瀬両氏に対する力強いはげまし、現地農民を勇気づけにもなるのです。矢臼太鼓よ 矢臼をベトナムにつなぐな! 矢臼別のたたかいⅠ 乳と蜜の流れる酪農郷の夢北海道開発局は一九五八年、別海村の北部に世銀融資を基金としたパイロットファームを建設、第一、第二と工事をすすめ、第三地区を矢臼別原野に選んでいた。その計画は三段センターに六〇〇~八〇〇戸を集め、西春別に一〇〇〇戸、その北方に四〇〇~六〇〇戸の集落をつくりだすという壮大な計画であった。演習場予定地に選ばれてからは、農業集落造成の計画はお流れになり、開拓者の夢はむざんにも「演習場」におしつぶされてしまった。Ⅱ 買収拒否してたたかう二戸―矢臼別の赤い湖わずかに二戸 なる執ような買収工作を拒み続け、演習場のど真中にとひびけとどろけ杉野芳夫・川瀬氾二の二戸だけが度重どまっている。この二戸は一年三百六十五日、たとえ一日たりといえども赤旗をおろさない。固く手をとり肩くみあって「演頑張ろう!習場設置反対」の初志を貫いている。自衛隊は「あそこには始めから湖があったと思えばよい」といっている。湖なら泳いで渡ることもできようが、ここ杉野・川瀬の二つの砦は「赤い湖」たたかいの拠点、バズーカ砲をもってもミサイルをもってしてもテコでも動じぬ鉄の砦だ。Ⅲ 一九六五年正月、演習場設置以来三度目の春を迎えるのに先だち恒例の赤旗読者会が開かれ、その席で農民組合を組織しようとの討議があり、一ヵ月後の二月二一日に日農西春別支部の結成、自らの組織をもち自力で斗かう道を知り始めた農民の成長ぶり、日農の発展は著しい。一九六五年春、分屯地が開設されてから演習の回数も次第に増え、激しく行き交う砲車、ジープが埃をまきあげ、牧草の成育に悪影響を与えるほか、交通の安全を脅かし矢臼別農民のたちあがり―日農西春別支部の結成374 第1部 社会・文化 第6章 社会運動【市民・環境・政治運動】
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