ことというと笑いの種になるかも知れませんが私には重大なことです。というのは、報道陣から「此処にがんばっていなければならない理由は一体何ですか」という質問をうけました。これは今までも何回か受けた質問ですが平和を守るためとか戦争に反対するためとか農業を守るためとかいろいろいつて来ましたが何れも根本の理由ではないということです。此処にいるということの根本は全く簡単明りよう単純なもので『此処にいたい』ということたつたそれだけだということです。これだけのことを知るのに約五年の才月を費したわけですが、此の要求を充すために農業の問題から米日独占反対米帝をたおせまで発展していくのだと思います。此の根本が不明だとぐらついたり悲壮感におぼれたり使命感返じようになつたりするのではないかということを考へました。私が現在此の安定の中で(将来はまだ予測出来ません)斗志をもやしていること亦此の斗いの中で此の境地に達したということは突然に悟ったという神がかり的なものではなく、アカハタを通じた党の指導をはじめ全く涙ぐましい先生のご援助によるものであることを私は確信しないわけにはいきません。私にとつて最も強烈な経験は昨年の平和大会とその前后と今日の斗いです。その中で印象深いことは平和大会の募金活動の最后の日に先生と私と買物にいきました。それから海を見にいきました。そして今日は休みだと先生がいわれ充分な予(ゆうがうかがへました。そのとき私は先生にもこういう一ときがあるのかと思って或安心感をもったものでした。このことは私の中味がよいかわるいか分析する力はまだありませんが私がそう感じたということそれ自体そんなにまちがっていたとは思いません。私は一体此処で何を言おうとしているのだろう。私にもちよつと分りません。なぜか私が此の手紙を書く気におそわれたのは婦人ホームでのあの劇的場面に出合って私の体は硬直して動きませんでした。しかし考へて見ると私には正確な理解がないことが分りましたからです。西部劇を思い出すような雄大な舞台での斗い、これが組織された力は先生の努力によるものであるという理解が私の頭の中にあります。どうもうママ)376第1部 社会・文化 第6章 社会運動【市民・環境・政治運動】
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