いえそうに思う。つまりはっきり目的意識をもって「地域」をとらえかえすという水準を共有しえていた。その目的意識とは、自分たちを小なりとはいえ、そこに生きる場の主体としてうち立てようとする意識である。相模原グループが、その結成時に相さ模原人をめざし、横須賀グループが原横須賀をさぐり、川崎や埼玉が「自立をめざす地域祭」運動や「ニューウェーブ80運動」のイニシアティブを発揮しているのは、みなそうした意識からであるとまとめてもよいだろう。自分たちが「地域になる」労働者の争議団共斗における地域〈地域共斗〉から出発しても、より全体的な視野をもって地域をとらえたい。そういう発想は、札幌では「自分たちが地域になる」のでなければならないという創意あることばを産んできた。それを受けて、前田俊彦さんは、ナワバリの否定ということを説いた。「地域」をナワバリとしてとらえてはならないというのである。また各地にはそれぞれ名物というものがある。まつりならまつりを名物にするという発がみげんじん想も参加者を面白がらせた発言であった。第二に、「若い世代」をどう運動に巻き込んでいくかについて論議がはずんだ。そのきっかけを作ったのは、埼玉の「ニューウェーヴ80」運動がロックバンドを結成して、ロック音楽の演奏されるデモを成功させたという報告であった。札幌のまつりでもロックコンサートが催されたし、あれこれの試みがこれから追求されるだろう。今年、もしまたシンポジウムが可能だとしたら、この問題については方法論もふくめてじっくりした討論を組みたい気がする。第三は、生活・文化を包括する運動についての報告と― ―― ― 意見交換であった。川崎が下層労働者の自己表現をひきだす媒体として地域祭を企て、食うことや医療、うたや芝居を自立した空間のなかで用意した実践報告、相模原の「くらしをつくる会」運動、東京の自主講座の多様なうごき、札幌での「まつり」の報告など、かなり似た方「人民留学」や「技術移転」のための交流を387第3節 「組織」の運動から「市民」の運動へ
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