北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
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中は、人影が絶えることのない状況になっています。二点目は、適切な管理がゆき届いていないことがあげられます。池の周囲には堅牢な危険防止柵がつくられ、釣りが禁止されているにもかかわらず、管理にたずさわる人の巡回しない早朝、夕方(魚釣りの適時である)には釣り人が、そう広くもない水辺のそこかしこに散在しています。つまり、水面には人影から隠される場所がないうえに早朝から日没以降まで人目にさらされているのが現状です。現在は、水辺を生活の場とする鳥達の生息環境を整えるべき時でこそあれ、遊覧ボートを浮かべ、こうした鳥達を西岡水源池から追放するようなことがあってはならないでしょう。西岡公園を利用する人達は、散策、ハイキング、スポーツ利用、自然観察とさまざまです。しかしここを訪れる人は、いずれにしても西岡水源池の自然環境がもたらすものを求めてきています。「マチの中にあれだけの自然が残っているのはすばらしい。」という声はもっともなことなのです。私達は図鑑を手にした家族連れや虫捕りの子供達に出会います。そして鳥の名、草の名を聞かれることもたびたびです。ある保母はこうした面での不便を訴え、また小学五年生を対象とした一泊学習では、自然観察がその目的の一つになっているにもかかわらず、実際には教師まかせとなっているため「食事をつくって遊ぶだけ」といった結果に終っていることも聞きました。都市の公園のあり方については、もう少し適切な配慮があってよいのではないでしょうか。市民一人当りの公園面積を〝緑のイメージ〟で追い求めるものではないでしょうし、まして現実にある自然環境を造園的感覚で箱庭化してしまうものであってはなりません。中島公園がつくられたのは明治一九年のことで、それはその当時でさえ市街地では失われつつあった良好な自然環境が残されていたためといわれています。月寒公園も同様です。自然景観を求められてつくられたはずのこの二つの公園には、しかし、求めていたものが遠くへと消え去ってい    421第6節 自然保護・環境運動の隆盛

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