北海道現代史 資料編3(社会・文化・教育)
457/1232

白雪会の活動〈一九三四~四五年〉白雪会と私白雪会が札幌にできたのは昭和九年十月のことであった。その前の月の九月に、婦人公論の講演会が札幌市公会堂で催された。講師は当時好評のあった下村千秋氏と、清沢冽氏の評論家お二人で、中央公論社の前社長の嶋中雄作氏が若い社員と共に案内して来られた。嶋中社長は大正五年に中央公論の兄妹誌として婦人公論を創刊し、みずから主幹として熱意を傾けている方であった。あまり中央の文化に接する機会の多くなかった札幌の街では、『白雪会45年のあゆみ』一九七八年白雪会創始者 この講演会を大いに歓迎して盛会だった。この時の大会後に別室で女だけの座談会があり、ここで嶋中社長が札幌にもグループをつくって欲しいという話があった。賛成者が多数あった。そして早くもその翌月の十月六日に三八菓子店の二階で発会式が行われ、十一月二十五日の第二回例会の日に白雪会という名前も決まった。四十名以上の会員がめいめいに名前をかいて出し、それを投票にかけたところ、計らずも私が提出した白雪会が当選して、いまも光栄に思っている。山下 愛子 白雪会ではどんなことがあっても、月一回は必ず集ま   ろうと決めていたが、それがいつの間にか百回に達した。創立以来七年三ヶ月目である。そこで自祝の意味で昭和十六年十二月十四日に、丸井デパートの別室で記念の「北の文化を語る会」を催した。河野広道氏、更科源蔵氏、高倉新一郎氏、関口二郎氏、伊藤秀五郎氏、それに山下秀之助と言うメンバーで、いづれも北海道の文化の担い手ばかり、話のはずまぬ筈はなかった。〈中略〉【女性の人権を求める団体活動】第一節 女性団体の活動再開441第1節 女性団体の活動再開43 

元のページ  ../index.html#457

このブックを見る