道婦連協結成まで昭和三一年小樽市における第七回婦人大会の綜合討議の席上、かねて懸案の全道婦連協の問題はその研究推進方が、開催地小樽の「大会処理委員」の手にゆだねられた。この間の事情及びその後同年十月十二日、小樽市の労働会館において開かれた婦連協結成の問題に関する代表会議の模様は小樽市の処理委員会によつて同年十二月に発行され各地婦人団体に贈呈した二、三〇〇部の大会連携する婦人団体北海道婦人団体連絡協議会『道婦連協』創刊号一九五七年一二月集録の四二頁にくわしく記してあるので省略する。この時、代表を出した地方は、渡島、函館、空知、後志、札幌、小樽、赤平、士別、上川、旭川、網走、苫小牧、江別、石狩、十勝、帯広、美唄、人数にして二三名、この他道教委より埴淵、宮崎、佐藤の諸先生、後志の内山先生、石狩の近松氏らが列席された。この代表会議は全員の意見の一致をみて、即日、道婦 の発言を記した二、三〇〇部の数にのぼる速記録が同じ連協結成準備委員会に切りかえられた。この代表会議が、準備委員会に切りかえられた事こそ、道婦連協が結成への第一歩を印した重大な転機であるので、広く全道の婦人団体に経過の広報を行う必要が痛感され当日の各代表く三一年十二月末日、全道の婦人団体に向けて発送されたのである。これは、万一、後日道婦連協の結成に至る経過について、誤解を受ける事のないよう、特に留意してとつた措置であつたが、大会集録も速記録とともに何処かに渋滞して、各婦人団体の眼にふれていなかつた地域も多く、大きい労力と費用が無為についやされたむき第三節 高度経済成長期と女性団体の活動の活発化北海道婦人団体連絡協議会の結成(1) 447第3節 高度経済成長期と女性団体の活動の活発化45
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