資料1は、被災の二年後に刊行された北海道十勝支庁『十勝沖地震の記録』の序文である。十勝沖地震は十勝・釧資料2は、一九六五年刊行の『洞爺丸台風海難誌』に収録されている救援者の記録である。洞爺丸台風による海難敗戦後、国民の生活はひっ迫していた。厳しい生活現実の中でも、自然災害は容赦なく襲いかかってきた。占領下・復興期の自然災害の例として、一九五二(昭和二七)年の十勝沖地震と五四年の洞爺丸台風を取り上げる。路・日高を中心として、全道に罹災家屋三万余戸、罹災者数約一六万名、総額一五〇数億円に達する大きな被害を与えた。この序文に、地震による被害と災害復旧の取組が簡潔にまとめられている。国、道、国会議員、報道機関、国内外の人々など様々な立場からの支援によって、復旧が進められたことが記されている。当時、進駐していた米軍が、地震発生翌日に行われた北海道知事の現場視察のために輸送機を提供したことも記録されている。事故は、遭難死亡者が一、四三〇名に上る大きな災害となった。海難事故の責任をめぐって海難審判が行われ、審判結果を不服とする日本国有鉄道が東京高等裁判所に提訴、さらに、最高裁判所に上告したが棄却の判決があった。そのため、海難の経緯や被害状況等についての詳細は同誌を含め多くの情報がある。これに対し、救援者から見た海難一九五二年十勝沖地震一九五四年洞爺丸台風解 第一節 占領下・復興期の自然災害485解 説(2) 説 (1)
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